陰日向に咲く

原作は、発売して数ヶ月してから借りて読んだ。「劇団ひとりの本なんてどうせたいしたことないだろ」と思っていたのだが、読後は、劇団ひとり氏に謝罪したい気分であった。基本的に本は電車の中で読むだが、こういった笑ってしまう場面がある本だと電車の中で笑いをこらえるのがシンドイ。ここで笑ったらアホな奴だと思われるという気持ちがでてきて、なんとかこらえるのだが、笑いをこらえている時には、なぜかおもしろいことが思い浮かんでしまう。というより、なにもかもがおもしろくなってしまう。だから、電車の中で読むのをあきらめた本であった。以前にも同じようなことがあったのだが、その作品が村上龍氏の69(シクスティナイン) (集英社文庫)である。この2作品で笑ってしまうという自分の笑いのレベルをご理解頂きたい。

陰日向に咲く

陰日向に咲く

個人的な意見であるが、「スウィニートッド」と「陰日向に咲く」で迷ったら、ぜひ「陰日向に咲く」を観てほしい。その個人的な勝手な理由は、
1、ストーリーが単純におもしろい。
 原作は85万部くらい売れた。爆笑問題とかビートたけしとかも本を書いているが、芸人が小説を書くのは珍しい。劇団ひとりという、作家としてブランドがあるわけではなく、テレビでもおもしろいことを言うわけでもない人が書いた本が売れたのは、単純にストーリーがおもしろからであろう。たしかに、火がついた後は、売り上げの加速度は上がり流行で売れたところもあるが、その火がついたのも読者が単純におもしろいと思ったからであろう。期待度がひくかったからかもしれないが。
 原作のある映画は、基本的におもしろいと感じない。自分の頭の中の創造力を超える画でないとおもしろいと感じない。自分の頭の中ってスゴイですな。陰日向に咲くの原作は読んでいた映像が浮かぶような作品であった。だから、映画にしたらギャップがひどくてあまりおもしろくないという感想になると考えていた。だが、今回は違った。それは次の理由あらであろう。


2、ちょっと忘れたころにやってきた。
 本を読んでから、月日がたっていたので、少し内容を忘れていた。たしかに原作はおもしろかった覚えがあるが、うる覚えになっていた。そこに映画がやってきた。映画が始まって、最初はどんなストーリーか思い出しながら観ていた。原作と変わっているところもいくつかあったであろう。だが、基本は変わらない。その基本は、「つながり」と「期待を裏切る」という感じ。観ていて気持ちよかったのが、無理のあるとこもかなりあるのだが、あそこの場面とこの場面がつながるのかとか、この人とこの人がつながるのかというつながりの面白さである。そして、期待を裏切るというのは、自分が映画を観ながら考えているつながりを裏切ってくれる。そう観ているとひとつの長い漫才を見ているような感じであった。
これを味わえたのも、原作を読んでから時間がたっていたからであろう。


3、単純に宮崎あおいがかわいい。
 理由なんてない。


4、スウィニートッドを観てからだったから
 僕はどちらかといえば、洋画よりも邦画が好きだ。洋画だと損している気分になるからだ。どこで損しているかといえば、言語や文化を理解していないからだ。英語もできて、その国の文化とかを理解していれば、おもしろかったり、泣けたりすることもあるだろう。それを、言語や文化を理解していないから感じることができないと機会損失した気分である。邦画ならだいたいわかる。たとえば、僕がアメリカ人であれば、漫才、サラ金、ストリップなどの日本の文化の微妙なニュアンスがわからないため、この映画をみても、「ゼンゼン、ツマラナ〜イ」と言うであろう。
 洋画にも、もちろんおもしろい映画はある。だが、それは本当におもしろいのであろうか。それを考える際には、おもしろいという言葉を定義しなければいけないと思うが、あえて定義しない。どうしても世界中で観られているからとか、みんなおもしろいと言うから、「これがおもしろいということか」と自分の中に定義づけられてしまう。そこには、自分の主体性が欠けてしまっている。自分の中の判断機能が鈍るのである。その判断機能を鈍らしているのが、言語だと思う。日本人は悲しいのか素晴らしいのかわからないが、日本語が母国語だ。日本語で判断する。そこに、韓国語や英語がはいってくると、その判断機能を麻痺させてしまう。案外、洋画っておもしろくないんじゃないかなと漠然と思っていた理由がこのへんにあるのかなと感じた。


わけのわからんことをたらたらと列挙してしまった。これが、自分の文章のレベルと思うと悲しい。また、上記の理由では、原作を読んでいたから生まれた理由もあるが、原作を読んでいないのなら単純に映画としておもしろいであろう。


期待をしないで、肩の力を抜いて気楽な感じで、家のこたつの中でみかんを食べながら観るような感じで観るとより良いであろう。どっかの映画館にこたつ席があった気がする。
そして、タイトルが、『陰日向に咲く』であることを忘れないように。僕は、ずっと『陰日向に咲く』だと思っていた。映画でチケットを買うときも「21時35分からの陰日向に咲くを大人2枚」と言っていた。店員さんは、若干疑問を感じた顔をしながら流してくれた。そして、パンフレットを買いタイトルをみても、「映画版は、陰日向に咲くなんだ。原作の花が抜けているのはなんでなんだろう」と必死に考えていた。なんてことだ。
大きな間違いは、指摘してしてくれるが、小さな間違いは案外流される。こんな小さな間違いには、自分で気づいていくしかないと深く考えさせられる作品であった。