ネット未来地図〜ポスト・グーグル時代 20の論点〜(佐々木俊尚)

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タイトルからネットの未来について書かれていると安易に考えていたのだが、もちろんそれだけではない。
現状をしっかりと把握することによる未来への推論が、テンポよく書かれている。
20の論点を示しているが、ひとつひとつに物足りなさを感じるが、著書の言っている現状からの未来へは、的確である。
個人的に共感できることに、データベースとアーキテクチャの考えがある。
検索エンジンにしてみれば、無限の情報を集約し、そこからランキングして出力されるわけである。
また、SNSにしても様々なものとの互換性をつくりデータベースを大きくして、まとめることが重要になる。
つまり、まとめるということは、ルールをひくということである。
だが、そのルールのつくられ方がリアル社会とは違う。
リアル社会においては、トップダウンという要素が大きいが、ネット社会においては、ボトムアップという要素が大きい気がする。
どっちが良いというわけではないし、ルールをつくる上では共に必要な要素である。
いまは、googleがルールをつくっているといっても過言ではない。
だが、googleの次を狙い、みな技術改善、技術革新に躍起になっているわけである。
ITの歴史を振り返ってみるとすぐにまた、現状のルールが淘汰され、新しいルールがひかれる。
このようにルールの変化がはやり要因もまた、試行錯誤か容易なITの世界ならではだと考えられる。
何を言いたいのかよくわからなくなってきてしまったので、やめる。
以下、線を引いたところである。

・「マネタイズ」<中略>「インターネットのサービスを収益化する」「無料のサービスを金儲けモデルに変身させる」といったような意味だ。(8)
ベイズ理論は確率論の定理のひとつで、わかりやすくいえば、新たなできごとを予測する際に、すでに起きている事象を予測の材料として次々と加えていくことによって、予測の制度が高められるという考え方である。(27)
行動ターゲティング広告は、利用者がどのようなウェブサイトを見たり、どのようなキーワードで検索したかといった履歴をすげて蓄積しておいて、その内容に合わせて利用者の興味や関心がありそうな広告を配信するという広告である。(33)
・日本国内で年間二十兆円はある広告費と販促費がポイントプログラムに一定部分は吸収されていく可能性は高いのではないか(42)

共通言語というか、最低限知っておかなくてはいけないであろう知識の不足によって損をしているのではないかと気になる。よって、最低限の知識とはどこなのかわからないが、教養というのは、大切だなと強く感じる。
それに、多様性の現代であり、その多様なものの結びつきから何かが生まれる現代においては、知識も多様であった法がいいし無限である。

・貨幣通貨を発行している各社は、顧客を囲いこむ手段としての意義を最も重視している。<中略>共通基盤の実現は難しいように思える。(49)

共通という意味がとられてしまった貨幣通貨は、通貨として意味のあるものになるのかと疑問に感じる。だが、これはリアル社会を基に考えていることであるので、そこからの脱却をしなければならなのかもしれない。

・ウェブ2.0のビジネスは、収益モデルを有料コンテンツではなく、広告に依存している。コンテンツを有料で販売するのではなく無料で配布し、コンテンツに基づいた広告を消費者に届けることで収益を上げるという考え方である。グーグルのアドセンスアドワーズなどの広告モデルがその典型だ。(72)

どのように収益に結びつけるのかは、永遠に考え続けるところであろう。コンテンツに対するペイではなく、そのコンテンツに付加価値をつけてそれを収益のモデルにする。広告のモデルも一種の付加価値であるな。どっかにつながるところがあるはずなのだが。

なぜ日本のベンチャー業界は当時、シリコンバレーになれなかったのかー理由は明白だ。以下の三点が決定的に欠けていたからである。
?ベンチャーが上場できるような進行企業向け株式市場が存在せず、この結果、ベンチャーが資金を調達する方法が少なかった。
?この結果、技術者や研究者がカネのないベンチャーに流れてこず、ベンチャーにはどちらかといえば「山師」敵な文系営業マン、広告マンばからが集まってしまった。
?このような技術者の不在の結果、技術主導型のビジネスモデルを生み出すことができなかった。

日本の環境で技術者を尊敬する基盤がそもそもない気がする。容姿のよいタレントなどの方が、技術者よりも尊敬されていると考えられる。たしかに、それもひとつの才能であるため、いいのだが、そこから何か生まれるのかが疑問であり生まれるのは性欲なのかなと考えてしまう。これからは、技術の時代(知識を含めた)なわけでこういった、日本の環境が、日本を滅ぼすのかもしれない。

構造がなければ、規模がいくら大きくとも、インターネットのデータは単なるノイズの集合体に過ぎない。構造が存在してこそ、その構造が何らかの方向性を持った訴求力を生み出すことができる。つまりのノイズの集合体であるデータベースを体系化して、そこに何らかの価値を与える方向性を生み出すことが可能になる。(90)

データベースを意味づけする。データベースに限らず何かを意味づけする。意味づけする。

・動画コンテンツが収益化できていない最大の原因は、動画と視聴者をきちんとマッチングさせる技術が生み出されていないからだ。どのような顧客がどのようなコンテンツを求めているのか。あるいあはどのようなコンテンツを配信すれば、どのような顧客層の人たちがやってくるのか。そのマッチングが明確になってくれば、かつてグーグルの検索エンジンによってテキストが広告化していったように、動画が広告化するモデルが具現化していくことになる。(114)
アメリカのようにテレビが多チャンネル化していくと、秀逸なコンテンツを作るクリエイターこそが重要なのであり、どのチャンネル(コンテナー)で番組を送り出すかは重要でなくなる。(123)

このアメリカの体制を考えると、旧メディアがいまもなおを独占している日本よりもマッチングされた映像を広告化するのは、アメリカの方がはやい。やはりアメリカなのか。

・かつて人々は、記事などの情報は新聞やテレビ、雑誌といったパッケージになっていなければ信用しなかった。「朝日新聞」「NHK」「文藝春秋」という権威のあるパッケージに放送された記事を読むことで、「ここに書かれていることはおそらく真実なのだ」という安心感を得ることができたのである。(155)

旧メディアは、製作者側も、それを頼る視聴者側もお互いがマスターベーションをしていて、セックスをしていない気がする。そうなると種が続かない。
権威だとかそういったことを重視する日本の国民性がでているのかな。