行動経済学 経済は「感情」で動いている(友野典男)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

 ホモ・エコノミカスを前提とする経済学の授業にたして、非常に抵抗があったが、なぜそうだったのか言語化できなかった。
行動経済学という領域は、標準的経済学を否定するという立場よりも、付加価値を提供するという立場であろう。だが、サブタイトルにもあるように人間の「感情」というのは、経済学に重要である。それを、説明しようと考えるのは当たり前といえるが、その行為は、暗黙知言語化するようなもので非常に難しいところであると感じた。
 内容は、腹いっぱいになってしまって、経済学という言葉に抵抗を感じる人でも、身近な感情に関することであるため読みやすい内容である。
以下興味を持ったところである。というよりも引用ってどのくらいしていいのかルールがあった気がするがそこが気になる。

・標準的経済学が前提としている人間像である経済人とは、認知や判断に関して完全に合理的であって意志は固く、しかももっぱら自分の物質的利益のみを追求する人のことである。(14)
行動経済学は、人間の合理性、自制心、利己心を否定するが、人間が全く非合理的、非自制的、非利己的であるということを意味しない。完全合理的、完全自制的、完全利己的であるということを否定しているにすぎない。(24)
・人は、完全に合理的ではないが、そこそこは上手くできるという意味で「限定合理的である」と言うのが一番適切である。(61)
・「人間は刺激に対して反応する刺激ー反応系である」という考え方をいっぺんさせ、「人間は情報処理をする系である」とみなす点で画期的であった。(34)

標準的経済学においては、自分たちの前提が壊されるのではないかと脅威を感じる人もいるのだろう。だが、人は感情の生き物だと完璧に理論立てて説明不可能であるが、その説明不可能であるところが、人は感情の生き物であると証明している気がする。

・人がなぜそのような行動をとるようになったのかを明らかにするために、特に進化論的思考が協力な武器となる。人間も動物であって、進化・淘汰の影響から逃れることはできないのであり、その結果として、人間のさまざまな認知的、社会的性質にある一定の傾向が現れると考えるのである。(25)

進化論的視点は、どんなところに通用するとしては、アインシュタインの数式のようなものであり、ダーウィンの偉大さを感じる。

行動経済学の第一段階は、標準的経済学に対するアノマリーに着目し、人が経済人とはいかに違うかを示す証拠を系統的に収集する段階であった。(37)
・第二段階は、そのような行動の体系化・理論化を図り、経済への影響を分析し、政策立案のための提言を行うという段階なのである。(38)

最近、人間が考えていることの言語化だったり理論化だったりすることの偉大さを強く感じる。
自分がそこが苦手だからなのかもしれないが。

ヒューリスティクスは、問題を解決したり、不確実なことがらに対して判断を下す必要があるけれども、そのための明確な手掛かりがない場合に用いる便宜的あるいは発見的な方法のことであり、日本語では方略、簡便法、発見法、目の子算、さらには近道などと言われる。(66)
ヒューリスティクスに対比されるのがアルゴリズムであり、手順を踏めば厳密な得が得られる方法のことである。(67)
・二重プロセスとは、人間が持っている二つの情報処理システムのことである。一つは、直感的、連想的、迅速、自動的、感情的、並列処理、労力がかからない等の特徴を持っているシステムであり、システム?と呼ばれ、もう一方は、分析的、統制的、直列処理、規則支配的、労力を要するといった特徴で表させるシステムであり、システム?と呼ばれる。システム?は一般的な広い対象に適用されるシステムであり、人間と動物の両方が持っている。システム?はシステム?よりずっと遅れて進化した人間固有のシステムであると考えられている。標準的経済学が前提としている経済人というのは、システム?だけを備えた人間であるということができる。しかもすばらしく高性能なシステム?を。(94)
・「固定観念や常識を捨てろ」という方針がよく聞かれるが、ヒューリスティクスにとらわれるなということである。この方針自体が一つのヒューリスティクスなのではあるが。(102)

ロボットなんかは、合理的な経済人になるのかもしれない。

・人は変化に対応する、というのがカーネマンとトヴェルスキーの創始したプロスペクト理論の出発点である。(112)

変化がはやく大きくなってきている現代において、変化に対応することの重要性に注目するのは納得がいく。

・感応度逓減製から、リスクに対する重要な態度の相違が生じる。すなわち、人々は利得に関してはリスク回避的、損失に関してはリスク追求的であることがわかる。(120)

損得の判断を死ぬまでに何回繰り返すのであろうか。

・同じ額の損失と利得があったならば、その損失がもたらす「不満足」は、同じ額の利得がもたらす「満足」よりも大きく感じられるという意味である。(121)

ここが肝なのかもしれない。

保有効果とは、人々があるものや状態(財だけでなく地位、権利、意見なども含まれる)を実際に所有している場合には、それを持っていない場合よりそのものを高く評価することをいう。(146)
・販売の目的で財を所有する時には保有効果は生じないし、貨幣はふつう財との交換(購入)を意図して所有するので、貨幣を手放すことには損失とみなされず、貨幣に対しても保有効果は生じないと論じている。(157)

・損失回避性から導かれるもう一つの性質が、現状維持バイアスであり、人は現在の状態(現状)からの移動を回避する傾向にあることを意味する。(158)
現状維持バイアスを、現在の状態をアンカーとするアンカリング効果の一種と見ることもできよう。(160)
名目賃金を切り下げると、不公正とみなされ、抵抗が大きい。インフレ期には名目賃金を切り下げることなしに実質賃金の切り下げが可能であるが、それは不公正とみなされないからである。
 また、非雇用者に対する賃金の支払い方法は、単に毎月の俸給ばかりでなくボーナスを組み込み、業績悪化の時にはボーナスの減額によって調整する方が、雇用者の抵抗は少ない。それはまたレイオフを減少させ、失業率を低めることになる。(168)

このへんは、日常の生活の中でも意識することがかなりできる。そういった意味では、行動経済学の身近さを強く感じる。また、これを知っていることによってマーケットの状態を自分の頭で考える手掛かりになる。

・ジョンソンとゴールドスタインは、初期値の設定が人々の意思決定に影響を及ぼす原因は三通りあるという。
 まず、公共政策に関連する場合には、人々が、初期値は政策決定者(多くは政府)の「おすすめ」だと考え、それを良いことだとみなすことである。
 第二に、意思決定を行うには時間や労力というコストがかかるが、初期値を受け入れればコストが少ないからである。<中略>
 第三に、初期値とは現状のことであり、それを放棄することは前章で述べたように損失とみなされ、損失を避けるために。初期値を選ぶことである。損失回避製が働くのである。(187)

リサイクル課税なんかは、後で払うわけがない。そこの裁定を狙っている人がでて、山に捨てにいく。

・選択や決定をするには、その選択肢を選んだ納得のいく理由やストーリーが必要であり、十分な理由があって選択が合理化できればたとえ矛盾であったとしても構わないのである。(209)

自分の過去の判断を振り返ってみると、思い当たる節が多々ある。

・人々は時間的に離れた対象に対しては、より抽象的、本質的、特徴的な点に着目して対象を解釈し、時間的に近い対象に対してはより具体的、表面的、な点に着目して解釈するのである。(244)

時間を使って金利で稼ぐよりも、目の前の焼肉を食べに行く。インフレ率だとか様々な要因がはいりこみ人間の判断の範囲を超えてしまっているのかもしれない。そう考えると頭がいいとは、判断できる範囲に広い人とでも定義してみるか。

・グリムチャーとドリスは、人間は、生理的な意味での効用最大化を目指しているのではないかと言う。標準的経済学における効用最大化とは異なり、物質的満足だけでなく、感情がもたらす快を含めたいわば総効用を最大にしようとしているというのが、生理的効用最大化である。(379)

行動経済学の位置づけがどうなるのかは、まだ、進化の過程にある学問のおもしろさでもある。